JUN KOBAYASHI

気の向くままに赴くままに地球をふらり

恋愛の形

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モスクワではカウチサーフィンで知り合ったマリアとサワといううら若きカップルのお家にお世話になった。

 

もともとカウチサーフィンのアカウントは持っていたのだけれど使ったことはなく、世界一周の旅に出てからいつか使ってみようと思っていたのだ。

 

カウチサーフィンとは〜で〜なサービスである。

 

気になった人はwikiで調べてみたらだいたいお分かり頂けると思う。

 

wikiのリンクを貼るほど私はマメな人間ではないし、タダで有益な情報を提供するほど優しくはない。

 

でも気が向いたら、"〜で〜なサービスである。"の部分を書いてみようかなと思うミーハーな人間でもある。

 

まぁ、簡単にいうとカウチサーフィンとは、"旅行者がタダで現地の人のお家に泊まることのできるサービス"

 

である。

 

そのカウチサーフィンを初めて利用したのがモスクワだったわけだが、マイファーストカウチサーフィンエクスペリエンスはとてもとてもいい思い出となった。

 

以下馴れ初め

 

マリアから私のお家に泊りませんか?というオファーがくる。聞くところによると彼女は日本語を勉強しているらしかった。

 

プロフィール画像を確認したところマリアがとても可愛かったので即OKを出す(やましい気持ちしかない)

 

待ち合わせ場所に向かい合流する。やはり可愛かったのでテンションがあがる。

 

家までの道中マリアは彼氏と同棲していることが発覚する。

 

萎える。

 

お家に到着する。マリアの彼氏サワと対面する。

 

 サワは感じのいい好青年であったので、邪な気持ちしか持ち合わせていなかった自分が情けなくる。

 

こんな風にして始まったモスクワでの生活。

 

2人はまず、お手製のボルシチで私を出迎えてくれた。

ボルシチとはウクライナ発祥と言われる伝統的なスープであり、材料に赤大根が使われているのでなかなかファンシーな見た目をしている。

お味の程はと言うと、うん、そうだな。
たくさん野菜が入った土の香りが芳ばしいうっすーーーーーーーーいコンソメスープを想像してほしい。


お分かり頂けただろうか?

そして美味しいかどうかのコメントは差し控えさせて頂けると助かる。

 

マリアとサワはモスクワの大学に通う19歳の大学二年生で、マリアは政治学と日本語、サワは経済学と中国語を専攻していた。

 

なによりもまず私を驚かせたのは、彼らの勉強に対するストイックな態度である。

 

朝早く起きて、今日の授業の予習は当たり前。授業を終えて帰ってきたらその日勉強してきたことの復習。夕食を食べたら今度は語学の勉強とレポート作成。

 

といった感じで暇さえあれば勉強している。

 

夜遊びをすることは滅多にないらしく、お酒もほとんど飲まない。
私がビール飲みたげにソワソワしているのを見て付き合いで一杯飲んでくれる程度である。

 

テスト期間ぐらいしか学校に行かず、朝から晩までバイトに明け暮れ、稼いだお金は無益な飲み会に消えていくといった不毛な生活を5年近く送ってきた私にとって、彼らの勤勉な態度に頭が下がる思いであった。

 

でもそんな2人だって男と女なわけで、やることはやっているわけで。

 

ある朝、何の気なしにサワの首筋に目をやったらあられもないほど特大のキスマークが3つほどついてるのを目撃してしまったんですよ。

 

「あれ、サワその首のキスマークどーしたの?」

とここぞとばかりにいじり倒す24歳ニート。(たんなる僻み)

 

「あ、いや、え、その…」

としどろもどろのサワ。

 

「あれマリアがやったの?」と攻撃の手を緩めない24歳ニート

 

もはやなんて言ってるかわかんないけどものすごい恥ずかしそうにしてるマリア。

 

か、可愛い。。

 

ほどなくして、どっちが先に手出したとか、私はそんなつもりじゃなかったとかいう、親密な言い争いが始まったのでなんだか急にいたたまれない気持ちになってしまった24歳ニート。

 

(なにしてんだろおれ…)

 

もうね、単純に羨ましかったんですよ。2人の関係が。

 

 朝起きる時間も一緒、ジムに行く時も一緒。

ご飯も一緒に作って、一緒に勉強して。

たまにどっちが皿洗いするのかで喧嘩して、さっきまで喧嘩してたと思ったらいつのまにか仲直りしてて。

ってゆーその関係が微笑ましすぎて、羨ましすぎて。

 

人の恋愛にとやかく口を出したり、自分の恋愛を俯瞰して眺められるほど大人になったわけじゃないけれど、2人の姿を見て、十代の頃の熱っぽさとか、ある種の危うさといった甘酸っぱい青春を思い出して単純にいいなぁって。

 

十代なら十代、二十代なら二十代といった、その時々でしかできない恋愛の形があると思うし、マリアとサワの二人のようにそういう恋愛の形を楽しんでいる人を見ると胸がソワソワするほど羨ましく思う。

 

友達そっちのけで、何をするにも一緒。そんな彼らの生活は彼らの年代にこそ相応しい。

 

と、今年25歳になるニートは思うのでした。

 

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国民性ってなんだろう

 

天候や気候が国民性に与える影響について考えていた。

 

 

太陽がサンサンと照りつける情熱の国で生まれ育った人間と
冬の間、日照時間が極めて短く平均気温がマイナス10度を下回る国で生まれ育ったと人間との間には火を見るよりも明らかな違いがあって然るべきである。

 

 

例えば同じヨーロッパ大陸というくくりにおいてもその違いは明白である。

例外はあれど、スペインに暮らす人々は総じてにこやかで陽気である。
時に経済活動が滞り若年層の失業率が60%を超えたとしても人々はシエスタ(長いお昼休憩のこと)をやめない。
彼らには彼らの生活リズムがあり逼迫した緊張とは無縁の生活を送っている。

 

 

スペイン人のことを悪く言うつもりはまったくなくて、私はむしろそういう生き方が好きだしそうやって生きたいと常々思っているが、彼らの国民性というものはいささか怠惰な気もする。

 

 

まず彼らはあまり勉強熱心ではない。

勉強に費やす時間よりもパーティーで踊っている時間の方が圧倒的に多い。

二日酔いで授業をすっぽかす、または遅刻するなんてことは日常茶飯事だ。

 

 

私は自他共に認める不真面目な人間であるので、向こう見ずな彼らの生活スタイルが好きだったし、むしろ率先して飲みに誘ったりもしていた。

 

 

類は友を呼ぶとはよく言ったものだなと思う。

 

 

それに対して今回旅をしたロシアという国の人々は、例外はあれど総じて気難しいし、話したとしても口数は少ない。彼らは常に無表情を貫き、見ず知らずの旅行者に優しくするような人は滅多にいない。

 

 

でもそれは致し方ないことのように思うのだ。

 

 

これは極めて個人的意見であるのだが、誰だってあんな極寒地帯で暮らしていれば当然口数は少なくなるだろうし、赤の他人を思いやる余裕は、常夏の国に住む人間と比べて否応無しに少なくなるはずである。

 

 

なぜなら彼らの生きることに対して注ぐエネルギー量は温暖な気候の国に住む人間のそれと比べて遥かに多いのだから。

 

 

少し極端な例になるけれども、温暖な気候の国に暮らす人々は、寒さで死ぬということはない。食べ物を確保することも寒冷地帯で暮らす人々と比べたら比較的容易なはずである。

 

 

しかしロシアに暮らす人々は違う。

彼らはマイナス20度を下回る状況を生き抜かなくてはならない。

そのためにはマニュアルを遵守しみんながみんなルールを守りながら働かなくてはならない。

 

 

なるほど、共産主義が産まれた背景ももしかしたらここにあるのかもしれない。それついてはいずれ考えてみたいテーマでもある。

 

 

少し話は逸れたが、そのようにロシア人という人々が置かれて来た状況を鑑みると、彼らの国民性にだってだいたいの納得がいく。

 

 

今となっては技術の進歩に伴い、自然環境的な厳しさが国民性に与える影響はそんなに高くないと思われる。

 

 

が、しかし過去においてはそれが大いに影響したと個人的に思うのだ。

 

 

天候や気候というものが我々の先祖に与えた影響は計り知れず、その影響下のもと文化や習慣が形成された。

 

 

そしていつしかそれらが遺伝子の奥深くに刻まれ、発露した結果がその国の国民性であるに違いない。

 

 

なーんてことをロシアを旅している間に考えたりした。

 

 

人間暇を持て余すとよくわからんことを考えはじめるものだなーと思う。

 

 

たぶん古代ギリシアで哲学が発達した理由もこれだ。

 

 

労働は奴隷が一手に担い、知識階級は働く必要性がなかったから哲学や芸術に耽ることができ、結果としてそれが花開いた。

 

 

なるほど、私はいま社員の社畜化という奴隷制度から解き放たれ、現代におけるアリストテレスになろうとしているのかもしれない。

っていうスーパーポジティブニートの戯言。

帰ったらちゃんと就活しよーと思います。

 

 

おしまい。

いざ再びのシベリア鉄道 featuring ニキータママズピロシキ

結局イルクーツクには5日ほど滞在した。

バイカル湖をサラッと観光したあと、モスクワに向かう予定だったのだが、ロシア美女との#ワンちゃんを期待して、いや、違う。普通の生活ができる有り難みにやけに感動してしまってついつい長居してしまったのだ。

 

 #ワンちゃん 大学生用語。後腐れない子と一発やること。

 

ここで言う普通の生活とは、暖かいシャワーを浴びることができて、外で用を足す必要がなく、レストランに行って羊肉以外の料理を食べることができる生活である。

 

哀しいことにモンゴルではそのどれもが叶わなかった。

 

そして再びのシベリア鉄道。5200キロ82時間の旅路。今回は途中下車することなくシベリアの平野をモスクワまで一気に駆け抜ける。

 

これから3日と半日も電車に閉じ込められると思うと気が気でない。

 

超現代っ子の私がWi-Fiのない生活に耐えられるだろうか。

 

いや、無理だ。いや、でもチケット買っちゃったし乗るしかないな。いや、でもやっぱスリもいるっていうし、怖い。なによりシャワーを浴びられないなんて無理気持ちわるい。でもやっぱり乗らないと先に進めないし。

 

っていう生産性のないやりとりを20回ぐらいして列車に乗り込んだ。

 

今回も車掌さんは金髪美人のお姉さんだった。

後々聞いた話によると、シベリア鉄道の車掌さんは皆女性らしい。

 

せめてもの救いか。

 

相部屋(相部屋といっても寝台が2つずつ上下に並んでいるだけでドアはない)になったのはいかつい初老のおっさん2人。

 

この時まで、"いかつい"という形容詞と"初老の"という相、反する形容詞がセンテンスとして成り立つとは知らなかった。


そんないかつい初老のおっさんに、超絶爽やかスマイルで挨拶してみたものの、返事はない。

 

そうか、これがロシアか。私が悪いのか。

 

そして今回の寝床は運が悪いことに二段ベッドの上段で、天井までの高さはわずか80センチほどしかない。

 

身体を起こすのも一苦労である。腰痛待った無し。

 

ちらりと周りを見回してみたが、外国人らしき人は自分以外見当たらず、屈強なロシア人のおっさんたちばかり。

 

下のテーブルはおっさんたちに占領されており、座ってくつろぐこともできない。
みんな無愛想で英語も通じないので会話もない。

 

やることもないのでひたすら本を読む。相変わらず窓の外の景色は変わらない。

 

朝が来たら目を覚まし、お腹が空いたらりんごを齧る。食事を済ませたら一眠りして本を読む。飽きたらお気に入りの音楽を聴いて、夜が来たら寝る。

 

というルーティーンを繰り返すこと3日。


3日。

 

時間にして72時間。

 

72時間もの間Wi-Fiもなしにベッドの上でただひたするゴロゴロする生活。

 

不幸せ以外の何物でもない。

 

日本の生産性の無いニートをぶち込んでみたらきっと彼らは発狂すると思う。

 

 

そのくらいハードな日々が続いた。

 

 

ロシアには11の標準時があり、その標準時をぶった切るように列車は走るので、時間感覚というものが極めて麻痺する。車内に時計はなく、もちろんWi-Fiもないので時間を調べる術もない。


お、日が昇ったから6時かなとか、隣のオヤジたちが酒盛りを始めたから17時過ぎかな程度にしか時刻を把握できない。

 

そしてこんな過ごし方をしていると、自分の存在というものに疑問を持つようになる。

 

自分が誰なのか、何をしているのか、どこにいるのか、どこに向かっているのか。

それすらもわからなくなってくるほど混乱するのだ。

 

どのコミュニティにも時間軸にも属することなく、外界の情報から完全に遮断された、宙ぶらりんな不思議な感覚。

 

途中これは、禅とかヨガとかと同一のある種、宗教的修行であるという結論に至った。

 

自分の内に深く深く潜り込む作業。そして宇宙と一体化する作業。

 

そう、シベリア鉄道に乗車するということは宇宙と一体化する過程を学べるということなのだ。

 

話が逸れた、元に戻そう。

 

そう、乗車から3日ほど経過した際、うら若きロシア人の学生達が我が城に乗り込んできたのだ。

 

くるくるパーマが印象的な21歳男法律家志望。

 

目尻のシワが特徴的な22歳ニキータ。

 

茶色い瞳と縮れたロングヘアーが可愛いらしいクリスティーナ年齢不詳(レディに歳を尋ねるほどヤワな男ではない)

 

特に印象のない21歳男。

 

 

人とのコミュニケーションに飢えていた私は、彼らとの会話が飛び上がるほど楽しかった。いや、実際飛び跳ねていた。

 

 

それ故に後々、周りの初老のおっさんたちの好機の目に晒されることになるのだがその時は知るよしもなかった。

 

 

片言の英会話、とびきりの笑顔、簡単なロシア後、日本の有名な物(特に車)、ボディランゲージが彼らとのコミュニケーションツールだ。

 

 

特にトヨタと本田圭祐に対する反応はとてもいい。

 

 

トヨタの車持ってるよ、ホンダケースケに会ったことあるよ(全部嘘)って伝えたらニキータが興奮した眼差しで、目を輝かせていたのを覚えている。

嘘をついて申し訳ないことをしたと思うが、私はただみんなに喜んでもらいたかっただけなのだ。

なんてサービス精神旺盛な男なんだろう私は。

 

 

そんなニキータは食料をほとんど持たない私を気の毒に思ったのか、やたらと食べ物ををおすそ分けしてくれた。

チョコレート、りんご、クッキー、ピロシキetc...

 

聞けば、そのピロシキはニキータのお母さんが作ったものであるらしい。

 

ピロシキ自体の味はいたって普通で、食べると口の中の水分を一切持ってかれるパンと表現するとわかりやすいと思う。

 

正直いってそう何個も食べられるものではない。

 

が、しかし私が調子にのって

"ニキータマムズピロシキナンバーワン!"

と連呼したものだから気を良くしたニキータはもっと食べろもっと食べろと催促する。

 

ごめんなさい、もう食べられないんだ。

とも言えず、10個ぐらい食べたあたりでギブアップ。

 

涙目で嗚咽も止まらなかったが、それを悟られないように必死に我慢して食べた自分に敬意を評したい。

 

口は災いの元。そんな格言が身に染みたシベリア鉄道の夜。

 

このあと一連のやりとりを見ていた屈強なおっさんたちに気に入られ、得体の知れないキノコのマリネやウォッカを頂戴し、ゲロッパするという特異な体験をしたのだが、長くなってきたのでこの辺で終いにしようと思う。

 

なんにせよ無事にモスクワまでたどり着けてなによりである。

 

ちゃお!

イルクーツクと魚と美女と

ウランバートルからシベリア鉄道に乗って、35時間列車に揺られてやってきたのは、シベリアのパリだとか言われるイルクーツクという街。

 

この街に立ち寄った理由はそう、バイカル湖に立ち寄るため。

 

以下Wikipedia引用

 

ロシア南東部のシベリア連邦管区のブリヤート共和国とイルクーツク州・チタ州に挟まれた三日月型の湖である。「シベリアの真珠」とも、ガラパゴス諸島と並ぶ「生物進化の博物館」とも称される。

 

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そう、これが噂のバイカル湖。世界一の透明度を誇る美しい湖。

 

期待はずれもいいとこだよばかやろう。

なんも見えないじゃないか、曇り過ぎだろ。しかもなんだよ気温マイナス3度って。まだ10月も初旬のことだよ。

 

河口湖とか山中湖とかと変わらないじゃないか。

むしろ富士山が無い分、景色としての美しさが圧倒的に欠けてるじゃないか。

 

おれの苦労返せよもう。

 

このあと、30分ほどして、身を切るような強風と寒さに耐えきれず逃げるようにしてイルクーツクに帰りました。

 

オフシーズンに行くもんじゃないね。

 

でも屋台でアクの強いおばちゃんが売っているオームリと呼ばれる魚の燻製は本当に美味しかった。

 

オームリっ!オームリっ!オームリっ!

 

おばちゃんこれしか言わない。壊れたラジカセみたいにオームリっ!を連呼する。

 

これいくら?と聞いてもオームリっ!しか言わない。

 

よーやく財布出したとこで、電卓で値段を弾き出す。

 

オームリっ!

 

そして満面の笑みでまた、オームリっ!

 

しばらくこのおばちゃんが頭から離れなかった。たぶんフィンランド抜けるあたりまで脳内で一緒に旅していた気がする。

 

ところでこのオームリ、川魚特有の臭みはまったくなく、身もフワフワ。スモーキーな香りがたまりません。バイカル湖に立ち寄ることがあったら是非ともご賞味あれ。

 

(湖が完全凍結する真冬か、夏場に訪れることを強くお勧めします)

 

話変わって、イルクーツクの町並みはとても美しい。

さすがシベリアのパリだとか言われるだけのことはある。

 

町並みはこんな感じ。木造建築と石造建築が織りなす絶妙なバランス。

 

蒼井空、失礼。青い空に映えるカラフルな色使いが楽しい。

 

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ん?

 

                                女子

建物   女子  子馬       馬     道路

 

道道道道道道道道道道道道道道道

 

 

思わず三度見。圧倒的違和感。突っ込んだら負け。

 

 

でも、でも、24年間生きてきて、わりと色々な経験してきたつもりだけど、この状況はまるで理解できない。

 

おれは間違ってない。

 

おかしいのはおれじゃない、きっと彼女たちが校則違反して馬で登下校してるんだ!(大方の日本の中学校でチャリ通が禁止されてるみたいに)と思って後をつけてみる。

 

やがて彼女たちは信号に差し掛かった。

 

偉い。ちゃんと馬とともに信号待ちをしている。。

 

赤信号を無視する日本の女子高生よりよっぽど偉い。。

 

そして信号が変わると同時に、今度は走り出した。

 

(パカパカうるせぇ)

 

そして周りの大人は然もありなんと言った感じで気にしている様子がない。

 

そうか。これがイルクーツクの街の姿なのか。

 

この時僕はいかに自分が日本的価値観で物事を判断していたのかということに気がついた。

 

いいじゃないか、街中を馬で走り抜けたって。

原宿を自転車で走る女子高生となんら変わりないじゃないか。

 

ありのままの現実を受け止めること。

 

そうこれがイルクーツクという街で僕が学んだこと。

 

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男性諸君、もしロシア美女と付き合いたいと思ったならイルクーツクに行きなさい。

彼女達は美しいだけでなく、素朴な優しさで溢れている。

ちょっと不自由な英語がキミのハートをソワソワさせるはずだ。

 

そして街中を歩いてる若い子の10人に7人はミランダカーレベルに美しい。

 

わかったかい?モスクワでもサンクトペテルブルクでもなくイルクーツクだ。

 

おしまい。

 

(ケツがたまんねぇんだよなぁ)

シベリア鉄道と国境越え

 

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パスポルトォォォオ!!!!!

プーチンを3倍ぐらいデカくした(ように見えた)禿頭のロシア人職員がパスポートを見せろと要求した。

 

 

リンゴとバナナで朝ごはん済まし、ぼんやりと窓の外の景色を眺め(昨日から変わらぬ景色)

この先巡り会うであろうロシア美女との妄想A to Zを一通り楽しんだあと、一眠りしていた時である。

 

 

例のプーチンはいきなりドアを開け放ち叫んだのだ。

 

 

パスポルトォォォオを見せろと。

いや、なにも叫ばなくてよくない?

てか舌巻きすぎじゃない??

こっち寝起きなんだし、おはようの一言ぐらいくれてもよくない???

 

 

でもそんな愚痴をこぼしてる暇もなかった。

もうなんというか、有無を言わさぬ雰囲気なのだ。

憲法上保障されている基本的人権など、ここロシアという国ではなんの意味もなさないのだというような具合で。

 

 

暴力という名の圧倒的権力を振りかざすをジャイアンに、ひみつ道具を献上するのび太みたいに私はパスポートをプーチンにうやうやしく差し出した。

 

 

プーチンはパスポートをパラパラとめくったり、ひっくり返したり、太陽の光に照らしたりしてじっくりとチェックしている。

 

 

何をそんなに眺める意味があるんだろう。単純な疑問である。

 

 

その間5分。

 

 

いや、冷静に考えると5分ってものすごく長いのだ。

どのくらい長いかというと、そうだな、小学校における帰りの会ぐらい長い。もっと言えば片思い中の大好きな女の子から日がな1日返信を待ってるぐらい長い。

 

 

パスポートを眺めるという行為に対し5分という時間をかけるのはそもそも時間の使い方を間違っているし、はっきり言って非効率的である。機械でピッとしてしまえば一瞬である。だって空港だってそうなんだから。

 

 

パスポートを5分もかけてチェックしてる間、プーチンはロシア語でなにかブツブツ呟いたり、無線で何か飛ばしたりしていて、なおかつその周りには麻薬探知犬が2匹ほどウロウロしているのだからこっちは気が気ではない。

 

 

これと言って特にやましいことはないのだけれど、ここまで大層な検査だとこちらも不安になってくる。

 

 

一通りのチェックが終わったのだろう。

 

 

プーチンは投げるようにしてパスポートを私に渡した。

並々ならぬ緊張感を5分もの間私に与えたあとプーチンはそれを投げるように渡したのだ。

 

 

激おこである。

 

 

今となっても腹立たしいが、ここで文句を言っても仕方あるまい。

 

 

話を先に進めよう。

 

 

そのあとも代わる代わるロシア人職員がやってきては、ありとあらゆる荷物を検査したり、ベッドをひっくり返したりと、忙しなさそうにしている。

 

 

その間3時間。

それもそのはず、彼らは同様の検査を乗客全員に対して行なっているのである。

 

 

最初の5分に文句を言ってた自分がバカバカしくなった。

 

 

そして最後に口をへの字に曲げた神経質そうな小太りのおばさん職員がパスポートを機械でピッとやって国境審査終了である。

 

 

そうその、口をへの字に曲げた神経質そうな小太りのおばさんは機械でピッ、てしたのだ。

 

 

 

機械でピッ、て。

 

 

ロシアなんて来なければよかった。

この時の率直な感想である。

 

ちなみに国境審査の間トイレ使えません。

 

 

これからシベリア鉄道に乗ろうと考える方お気をつけくださいませ。

使えないと言われると用を足したくなるのが人間の性でございます。

 

(初めて有益な情報を提供できた気がする。気がするだけなのだけれど)

 

 

シベリア鉄道に乗った話

まんまんまんまんがいちこのブログを楽しみにしていて、あれモンゴルで遊牧民と生活した話まだかな?って人いたらごめんなさい。

こっちのWEBサイトに載っけてあります。

 

http://kagelow.jp/backpack/episode1.html

 

えぇ真面目です。この上なく真面目です。面白い要素いっさいありません。大草原で野糞した話とか色々あるんですが、ただもうモンゴルはそろそろ飽きてきたので次いきます次。

 

シベリア鉄道に乗りました。ウランバートルからイルクーツクまで。イルクーツクがどこにあるかの説明はめんどくさいんで気になった方調べてください。32時間かかりました。楽しくなかったです。

 

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(イルクーツク駅でございます。やたらカラフルでございます)

 

そもそもなんで私が楽しくもないシベリア鉄道乗ることにしたのかと言いますと話は半年ぐらい前まで遡りまして、当時私は銀座のクラブで働いていたわけですが、そこのお客さんでですね、気難しい変なおっさんがいたわけです、でその人はかなりの博学とみえまして、毎晩飲みにきては様々なうんちくを披露しては帰って行くのでありました。私はそのおっさんが好きで、わりと楽しみに彼が来るのを待ってたりしたわけです。そんなおっさんがですね、ある日突然質問してきたわけです。お前は何がしたいんだと。なのでもうすぐ世界一周に旅立つ旨を伝えたわけでありますが、そしたらですね、そのおっさん。

 

「死ぬよ」

 

って仰ったんです。ええええ、ちょっと待っていくらなんでも、いやまじ失礼極まりないでしょ、それは言い過ぎだよおっさん。

普通なら何言ってんだこのおっさん、正気?ってなるんだけど、でもこのおっさんに関してはそうならなくて。何故ならそのおっさんめちゃくちゃ頭良くて、しかもなんかドン小西と美輪さんと江原さんを足して3で割ったみたいなスピリチュアルな雰囲気を纏ってて、とにかくオーラ(っぽいのが)凄くて。だからその「死ぬよ」の一言に不思議な重みを感じたわけです。

誰も死ぬために旅に行く人なんていません。じゃあどうしたらいいんだと。どうしたらおれは死なないんだと。そう質問したわけです。

 

「西に行け」

 

おっさんはそう言い放ったのです。いやアバウト〜〜

そんなこんなで私は中国スタートでシベリア鉄道に乗って西に向かうとにしたのです。

ほんとはアラスカスタートが良かったけど死にたくないもんね。

あとこの旅、猿岩石方式を採用していまして、「陸路で行けるところは陸路で行く」っていう自分ルールを課したので、飛行機に乗るつもりはありませんでした。

というわけでシベリア鉄道。初の陸路での国境越え。

決して気持ちのいいもんではないです。ドキドキヒヤヒヤでした。

なんてたってロシア人笑わないんだもん。ガチムチだし。

次回国境越えの話行きたいと思います。(気が向いたら)