JUN KOBAYASHI

気の向くままに赴くままに地球をふらり

国民性ってなんだろう

 

天候や気候が国民性に与える影響について考えていた。

 

 

太陽がサンサンと照りつける情熱の国で生まれ育った人間と
冬の間、日照時間が極めて短く平均気温がマイナス10度を下回る国で生まれ育ったと人間との間には火を見るよりも明らかな違いがあって然るべきである。

 

 

例えば同じヨーロッパ大陸というくくりにおいてもその違いは明白である。

例外はあれど、スペインに暮らす人々は総じてにこやかで陽気である。
時に経済活動が滞り若年層の失業率が60%を超えたとしても人々はシエスタ(長いお昼休憩のこと)をやめない。
彼らには彼らの生活リズムがあり逼迫した緊張とは無縁の生活を送っている。

 

 

スペイン人のことを悪く言うつもりはまったくなくて、私はむしろそういう生き方が好きだしそうやって生きたいと常々思っているが、彼らの国民性というものはいささか怠惰な気もする。

 

 

まず彼らはあまり勉強熱心ではない。

勉強に費やす時間よりもパーティーで踊っている時間の方が圧倒的に多い。

二日酔いで授業をすっぽかす、または遅刻するなんてことは日常茶飯事だ。

 

 

私は自他共に認める不真面目な人間であるので、向こう見ずな彼らの生活スタイルが好きだったし、むしろ率先して飲みに誘ったりもしていた。

 

 

類は友を呼ぶとはよく言ったものだなと思う。

 

 

それに対して今回旅をしたロシアという国の人々は、例外はあれど総じて気難しいし、話したとしても口数は少ない。彼らは常に無表情を貫き、見ず知らずの旅行者に優しくするような人は滅多にいない。

 

 

でもそれは致し方ないことのように思うのだ。

 

 

これは極めて個人的意見であるのだが、誰だってあんな極寒地帯で暮らしていれば当然口数は少なくなるだろうし、赤の他人を思いやる余裕は、常夏の国に住む人間と比べて否応無しに少なくなるはずである。

 

 

なぜなら彼らの生きることに対して注ぐエネルギー量は温暖な気候の国に住む人間のそれと比べて遥かに多いのだから。

 

 

少し極端な例になるけれども、温暖な気候の国に暮らす人々は、寒さで死ぬということはない。食べ物を確保することも寒冷地帯で暮らす人々と比べたら比較的容易なはずである。

 

 

しかしロシアに暮らす人々は違う。

彼らはマイナス20度を下回る状況を生き抜かなくてはならない。

そのためにはマニュアルを遵守しみんながみんなルールを守りながら働かなくてはならない。

 

 

なるほど、共産主義が産まれた背景ももしかしたらここにあるのかもしれない。それついてはいずれ考えてみたいテーマでもある。

 

 

少し話は逸れたが、そのようにロシア人という人々が置かれて来た状況を鑑みると、彼らの国民性にだってだいたいの納得がいく。

 

 

今となっては技術の進歩に伴い、自然環境的な厳しさが国民性に与える影響はそんなに高くないと思われる。

 

 

が、しかし過去においてはそれが大いに影響したと個人的に思うのだ。

 

 

天候や気候というものが我々の先祖に与えた影響は計り知れず、その影響下のもと文化や習慣が形成された。

 

 

そしていつしかそれらが遺伝子の奥深くに刻まれ、発露した結果がその国の国民性であるに違いない。

 

 

なーんてことをロシアを旅している間に考えたりした。

 

 

人間暇を持て余すとよくわからんことを考えはじめるものだなーと思う。

 

 

たぶん古代ギリシアで哲学が発達した理由もこれだ。

 

 

労働は奴隷が一手に担い、知識階級は働く必要性がなかったから哲学や芸術に耽ることができ、結果としてそれが花開いた。

 

 

なるほど、私はいま社員の社畜化という奴隷制度から解き放たれ、現代におけるアリストテレスになろうとしているのかもしれない。

っていうスーパーポジティブニートの戯言。

帰ったらちゃんと就活しよーと思います。

 

 

おしまい。