JUN KOBAYASHI

気の向くままに赴くままに地球をふらり

モンゴルとアムステルダムと

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旅してると色々な人だったり、考え方だったり、宗教だったりに出会うわけなんだけど、その度に日本人の宗教ってなんなんだろなーと思うわけで。そんでもって日本人の宗教は何?って聞かれると、ざっくりとしか答えられなくて。日本人は特定の宗教を信じない人が大多数なんだけど、日本には神道ってのがあってね、神道とはこれこれこういう考え方で、そこに仏教も加わってミックスされたユニークな精神性があるんだよ、んでそれは宗教じゃなくて多分大多数の日本人が有している基本的な価値観みたいなものでそれが日本の持つ伝統とか慣習のベースになってるんだよ。っていう話をすると大抵の人は納得してくれるんだけど、たまにすごい突っ込んでくる人がいて、じゃあ神道はどうやって誕生したの?とか仏教の何派が主流なのとか聞いてくる人がいてですね、私は答に窮するわけです。そんなん知るかばーか。ってわけで誰か宗教系の本でオススメの本教えてください。写真はモンゴルのカラコルムなんだけど、いいよね。なんかこう仏教が生活に深く根付いてる感じ。モンゴルではお坊さんの社会的地位がすごい高いらしくて、みんなから尊敬されてるんだって。貧しい家の子とかは進んで出家するみたい。というか食べて行くにはそうするしかないみたい。選択肢が有り余る国に産まれた不幸な人間と、選択肢が極めて少ない国に産まれた幸福な人間と。目の前に座るラブラブ過ぎるカップルがものすごい腹立たしいので、駄文を書き連ねたわけだけど、見たくないもの見せられてるものほど辛いことはないわけで、音楽聴きながら寝ようかと思ってiPod探しても見つからず。これからどうやって生きていけばいいんだと。失くしたiPodの代償はでかい。これからあと7時間バスに乗り続ける私が向かう先はアムステルダムで、マリファナとセックスが合法の町なわけで、随分と遠くまできたなーと感慨深いわけです。旅に出て3ヶ月。はやいもんです。たまにこうやって文書を吐き出したくなるのはなにかこう内に抱えるものがあるからなのかどうなのか。別に何か書いてなきゃ死んでしまうというタイプの人間ではないんだけど、暇を持て余すよりはいいのかなと。

モンゴルで遊牧民と風になった話

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 餃子♪炒飯♪回鍋肉♪るんるん♪といった程度にしか考えていなかった中華人民共和国において、精神と大腸に予想以上の深手を負い、息も絶え絶え疲労困憊、精疲力尽、満身創痍で降り立ったウランバートル国際空港。深夜12時。

 

(生半可でない身体的精神的ダメージを我が身に与えた中国という国についてのお話はまたの機会に)   

 

 牛乳が染み込んだボロ雑巾のような身体で恰幅のいいモンゴリアンの群衆を掻き分け、必死の思いでドライバー見つけ出し、予約しておいたゲストハウスに向かう。

 

(宿は事前に予約しておくものといった当たり前のことを中国で学んだのだ)

 

走り出したその瞬間突き刺すような寒さを我が身を襲う。あぁ、寒い。予想はしていたがひどく寒い。気温は3度。北京との温度差は25度近い。

頼む、頼むから窓を閉めてくれ。ドライバーさん。隣で子羊のようにガタガタと震えてる私が見えぬのか。

 

そんなことはお構いなしで、私が日本人だとわかるや否や、TOYOTAの車は最高だ。ヒュンダイはまだまだ。ロシア製なんてもってのほか。などなど、身振り手振りを交え、いや、彼は運転中であるので、身振り手振りを交えちゃいけないのだが、車談義に花を咲かし、非常にご機嫌な様子である。

 

日本人だからといって皆が皆車に詳しいと思うなよ。と心の声を圧し殺し、HAHAHA! GRATE! COOL! と巧みに相槌を操りその場をやり過ごす。

 

昔から人の話を聞いてるふりをするのは得意なのだ。

 

(それが原因で怒られたことは数知れず)

 

ものすっっっっっごい勢い(メーターが壊れていて速度不明)で車を走らせること、20分ほど、ウランバートル市街地に到着。草原のど真ん中に突如として浮かび上がる巨大なビル群に、冷え切った心と身体が踊りだす。

 

まもなくしてゲストハウスに到着し、チェックイン。

もう出会うこともないであろうドライバーさんに今生の別れを告げる。

 

(結局窓は開け放たれたままであった)

 

心の中で中指を立てたのは言うまでもない。

 

私は12人部屋のドミトリーを予約していたのだが、チェックインが遅かったのもあって、シングルルームに通して頂くことに。しかもお値段据え置き。日本円にして約700円。なんと親切なオーナさんであろう。

 

ははん、シングルルームに通しといて後から高額な料金を請求つもりだな。その手には乗るまい。と1度でも疑ってしまった自分自身に嫌気が差しつつ、死んだようにベッドに倒れ込む。

この旅で初めて人の優しさというものに触れ、ピアノ線のように張り詰めていた緊張の糸がパチンと音を立てて切れてしまったようである。

 

翌朝、街の喧騒で目を覚まし、ふと時計に目をやると朝の8時。普通の旅人であれば、このタイミングで起床し街に繰り出すのであろうが、私は違う。なんといったって意識低い系旅人なのだ。眠い時は欲求に身を任せ寝るのが1番。二度寝が許される幸福を心の底から噛み締めいざ再びの眠りへ。

 

夢か現か、トントンとドアをノックする音で目を覚ます。声にならない呻き声をあげ、時計に手を伸ばすと、針が指し示すは昼の1時半。

 

完全に寝過ぎである。いくら意識低い系旅人であるからって昼の1時半まで寝ることは許されない。そんな時間まで寝る人間、それはもはや旅人ではなくただのニート。

 

旅人失格である。

 

軽い罪悪感に苛まれつつ、ぬるいシャワーを浴びながらぼんやりと思考する。

 

はて、、、4日ほど前まで私はしがないフリーターだったよな。と。

 

昼から朝まで(ここ重要)馬車馬のように働き、稼いだお金は飲み代に消えていくといった不毛な生活を1年以上も送っていた人間がたった4日そこらでまともな生活リズムに戻れるわけがないよな。

 

だったら昼の1時半まで寝てしまうことも至って正常なことであって、なんら罪悪感を感じる必要性もないんじゃないか?

 

と、半ば強引に自分自身を正当化し、罪悪感から解き放たれた私は、日がな1日ベッドでごろごろするのであった。

 

そんな風にして幕を開けたモンゴルでの生活。

 

旅に出たからといって、18歳の頃から長年培った腐りきった生活習慣、生活リズムがそう簡単に変わるわけはなく、ダメ人間は旅に出てもダメ人間であるという事実に変わりはなくて。

でもだからといってそんなダメ人間っぷりを否定するのでもなく、

ダメ人間はダメ人間なりに自分自身のペースで旅の仕方、旅との付き合い方を学んでいけばいいのだ。

 

そう、これは堕落しきった生活からの緩やかなリハビリである。

 

 

 

 

ゲストハウスで働くということ

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ひょんなことから山梨県は河口湖町にあるkagelowというゲストハウスで働くことになった。

 

当時の私は留学から帰国してまもなくのしがない大学4年生で、就職活動なんて毛頭1ミリもするつもりもなく、かといって特に打ち込むこともなく、なんとなく、ただなんとなく世界一周を夢見ていた。
やることと言えば実家の犬の散歩と朝まで飲み散らかす無益な飲み会ぐらいで、とにもかくにも暇を持て余していたのだ。

 

 

そんなもんだから、河口湖のゲストハウスで働ける!となって、わりと、というよりむしろかなり、嬉しかったのを覚えている。

そんなこんなで私の河口湖での隠居生活は始まった。

 

 

最初のゲストはどこの国の人だっただろうか。フランス人の仲睦まじいカップルだったか、それともタイからの陽気な団体客か。はては名前も知らない国の孤独なバックパッカーだったのか。

 


正直に話そう。まったく覚えてない。見当もつかない。

 

 

まったく見当がつかない程数多くの国から何千人ものゲストがkagelowを訪れたのであるからしょうがあるまい。と記憶力の無さを棚に上げ自分自身を正当化してみる。

 


自分自身を正当化する大人になんかなりたくないなと高校生ぐらいの頃漠然と考えていたのに、いつのまにか歳をとり汚れた大人になってしまったみたいである。

 

 

そんなことはさておき、オープンから約1年で計42カ国約1万人の外国人観光客が、人口2万6000人程のうどんと富士山しか取り柄のないような小さな町のゲストハウスを訪れた。(とても失礼)これは多分驚くべきことだと思う。

河口湖町の名誉の為にも付け加えておくが、名物の吉田うどんはバカがつくほどうまく、四季折々の美しさをもった河口湖から眺める富士山は絶景である。

 

 

 

千葉生まれ味噌ピーナッツ育ち、近所のお坊ちゃんお嬢ちゃんはある程度友達!といった環境でぬくぬくと育った自他共に認めるシティボーイの私には正直、この町の何がそんなにも魅力的で多くの外国人観光客がこの町を訪れるのか甚だ疑問であった。だってうどんと富士山しかないんだよ?(何度もごめんなさい)

 


しかしながら働くにあたって、この町について無知であるわけにもいかないので、近所の本屋さんでガイドブックを読み漁ってみたり、天下のGoogle先生に質問してみたりと奔走してみたものの、いまいちピンとこない。なにがそんなに素晴らしい町なんだろう?と、ぼんやりとした疑問を抱えたまま家と大学とバイト先と河口湖を往復する日々。

 

 

 

ところで Kagelowで始まる朝が好きだった。朝8時に起床し、事務作業を片手間に終わらせ、シガーロスを聴きながら、思い思いに朝支度をはじめる様々な国の人たちを眺めるそんな朝。

タイの人たちは朝から賑やかに食卓を囲み、フランスの彼と彼女は仲睦まじく朝ごはん作っていたりする。死にそうな顔をしながら二日酔いに苦しむオーストラリアンもいれば、朝から陽気に笑いあうスパニッシュもいる。

相反する文化、慣習、言語、時間が緩やかにせめぎ合い混ざり合い、見事な調和をなしていて。
そんなしっとりした優しい時間がkagelowという空間には流れていた。
なんて贅沢な時間を彼らと共有していたんだろう。と私が気付くのは、悲しいかな、旅に出た後なのだが。

 

 

 

仕事の話に戻ろう。
大石公園から眺める富士山が綺麗だよーとか、カチカチ山のロープウェイ登ってみたら?とか、湖畔をロードバイクでツーリングするのもおすすめだよ!とかどこどこの温泉が大きくて気持ちいいみたいだよ!(実は何も知らない)と、一端の地元民ぶりながらゲストに観光プランを提供し、満面の笑みで彼らを送り出す。実に調子のいい人間である。

 

 

帰ってきて文句言われたらどうしようと、一抹の不安を抱えながら業務に戻り、彼らの帰りを待つ。そしてしばらくして夕方ぐらいになると1人、また1人と帰ってきて、他愛のない雑談が始まる。

 

 

「〜から見る富士山が本当に綺麗だった。ありがとう!」とか「色んな温泉行ったことあるんだけど、河口湖の温泉は最高ね!」だとか「空気も景色も綺麗の中ツーリングできて良かったよ。」などなど。

 

 

 

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そんな彼らの話を聞いて「あー良かった」とホッと胸を撫で下ろし、それと同時になにも知らなかった自分を恥ずかしくも思う。そして河口湖の町の姿を彼らから学ぶのである。
河口湖って素敵なところなんだな。と。

 

 

日本という国、日本人に関しても同じことが言える
私は彼らからたくさんの美しい日本の名所を教えてもらったし、心温まるストーリーを聞かされもした。

 


それは例えば、私がまだ行ったことのない日本の神社仏閣の話だったり、電車が時間通りに来ることへの驚きだったり、失くしたパスポートが見つかった話だったり、道に迷っていたら通りすがりの人が目的地まで送ってくれて涙した話だったり。

 

 

日本人からしたら、そんなにいいとこなの?とか、そんな驚くことじゃないじゃん。って話ばかりなのだが、彼らにとってはそうではなくて。

 

 


彼らにとってはこの国で起こるすべての出来事が新鮮で驚きに満ちたものであるのだ。

私はそんな彼らの話を聞きながら、「うんうん、へー!」とアホみたいに相槌を打ち、耳を傾ける。

 

 


日本という国を日本人という人間を彼らから学び、彼らが切り取ったその瞬間、その風景に、日本の美しさ、日本人の精神性を色濃く見て、私は嬉しく思うのだ。

 

 

私が、 Kagelowを訪れた彼らの中に日本という国を、日本人の精神性を見たのと同じように、私が旅の最中に出会う人々は私の語るその言葉に、私の黒くつぶらな瞳に、彼らの国を、彼らの精神性をそこに見出すのであろうか。

 

 

そんなことを考えながら私は旅を続けている。

 

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濃密な4日間を過ごし大満足な小汚い日本人男とカルタン&アルカ夫妻。

自分たちの生活スタイルの中に文明を程よく取り入れ日々を生き抜く姿は逞しく、それでいて美しく。

彼らのホスピタリティに比べたら日本人の「おもてなし」なんか茶番でしかなくうすら寒い。

「おもてなし」なんてわざわざ口にするもんでもないんだなーと実感した日々。

時間があるときもう少しちゃんとした記事を書きたいと思うのでお暇な方お付き合いください。

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生活の中で培われた無駄の無い筋肉がやたらかっこいい。

家族の為に働く男の姿を見て男のあるべき姿を見た気がした。

 

 

 

 

 

ヒモになりたい…美しくてお金持ちの女性のヒモになりたい…という心の声をグッと心に押しとどめる。

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カルタンの計らいで、乗馬も体験させて頂くことに。

さながら白馬の王子様(自称)といったところか。

乗馬の手ほどきをしてくれたのは、カルタンの孫であるリンキン君16歳。リンキンパークのパーカーを着ていたからリンキン君。

このリンキン君まぁものの見事に馬を乗りこなす。そして乗馬中の自撮りに余念がない。

近代化の波を感じつつ、おじさんも頑張って追いつこうとするが落馬。負傷。リンキン君の嘲りが胸に刺さる。