JUN KOBAYASHI

気の向くままに赴くままに地球をふらり

いざ再びのシベリア鉄道 featuring ニキータママズピロシキ

結局イルクーツクには5日ほど滞在した。

バイカル湖をサラッと観光したあと、モスクワに向かう予定だったのだが、ロシア美女との#ワンちゃんを期待して、いや、違う。普通の生活ができる有り難みにやけに感動してしまってついつい長居してしまったのだ。

 

 #ワンちゃん 大学生用語。後腐れない子と一発やること。

 

ここで言う普通の生活とは、暖かいシャワーを浴びることができて、外で用を足す必要がなく、レストランに行って羊肉以外の料理を食べることができる生活である。

 

哀しいことにモンゴルではそのどれもが叶わなかった。

 

そして再びのシベリア鉄道。5200キロ82時間の旅路。今回は途中下車することなくシベリアの平野をモスクワまで一気に駆け抜ける。

 

これから3日と半日も電車に閉じ込められると思うと気が気でない。

 

超現代っ子の私がWi-Fiのない生活に耐えられるだろうか。

 

いや、無理だ。いや、でもチケット買っちゃったし乗るしかないな。いや、でもやっぱスリもいるっていうし、怖い。なによりシャワーを浴びられないなんて無理気持ちわるい。でもやっぱり乗らないと先に進めないし。

 

っていう生産性のないやりとりを20回ぐらいして列車に乗り込んだ。

 

今回も車掌さんは金髪美人のお姉さんだった。

後々聞いた話によると、シベリア鉄道の車掌さんは皆女性らしい。

 

せめてもの救いか。

 

相部屋(相部屋といっても寝台が2つずつ上下に並んでいるだけでドアはない)になったのはいかつい初老のおっさん2人。

 

この時まで、"いかつい"という形容詞と"初老の"という相、反する形容詞がセンテンスとして成り立つとは知らなかった。


そんないかつい初老のおっさんに、超絶爽やかスマイルで挨拶してみたものの、返事はない。

 

そうか、これがロシアか。私が悪いのか。

 

そして今回の寝床は運が悪いことに二段ベッドの上段で、天井までの高さはわずか80センチほどしかない。

 

身体を起こすのも一苦労である。腰痛待った無し。

 

ちらりと周りを見回してみたが、外国人らしき人は自分以外見当たらず、屈強なロシア人のおっさんたちばかり。

 

下のテーブルはおっさんたちに占領されており、座ってくつろぐこともできない。
みんな無愛想で英語も通じないので会話もない。

 

やることもないのでひたすら本を読む。相変わらず窓の外の景色は変わらない。

 

朝が来たら目を覚まし、お腹が空いたらりんごを齧る。食事を済ませたら一眠りして本を読む。飽きたらお気に入りの音楽を聴いて、夜が来たら寝る。

 

というルーティーンを繰り返すこと3日。


3日。

 

時間にして72時間。

 

72時間もの間Wi-Fiもなしにベッドの上でただひたするゴロゴロする生活。

 

不幸せ以外の何物でもない。

 

日本の生産性の無いニートをぶち込んでみたらきっと彼らは発狂すると思う。

 

 

そのくらいハードな日々が続いた。

 

 

ロシアには11の標準時があり、その標準時をぶった切るように列車は走るので、時間感覚というものが極めて麻痺する。車内に時計はなく、もちろんWi-Fiもないので時間を調べる術もない。


お、日が昇ったから6時かなとか、隣のオヤジたちが酒盛りを始めたから17時過ぎかな程度にしか時刻を把握できない。

 

そしてこんな過ごし方をしていると、自分の存在というものに疑問を持つようになる。

 

自分が誰なのか、何をしているのか、どこにいるのか、どこに向かっているのか。

それすらもわからなくなってくるほど混乱するのだ。

 

どのコミュニティにも時間軸にも属することなく、外界の情報から完全に遮断された、宙ぶらりんな不思議な感覚。

 

途中これは、禅とかヨガとかと同一のある種、宗教的修行であるという結論に至った。

 

自分の内に深く深く潜り込む作業。そして宇宙と一体化する作業。

 

そう、シベリア鉄道に乗車するということは宇宙と一体化する過程を学べるということなのだ。

 

話が逸れた、元に戻そう。

 

そう、乗車から3日ほど経過した際、うら若きロシア人の学生達が我が城に乗り込んできたのだ。

 

くるくるパーマが印象的な21歳男法律家志望。

 

目尻のシワが特徴的な22歳ニキータ。

 

茶色い瞳と縮れたロングヘアーが可愛いらしいクリスティーナ年齢不詳(レディに歳を尋ねるほどヤワな男ではない)

 

特に印象のない21歳男。

 

 

人とのコミュニケーションに飢えていた私は、彼らとの会話が飛び上がるほど楽しかった。いや、実際飛び跳ねていた。

 

 

それ故に後々、周りの初老のおっさんたちの好機の目に晒されることになるのだがその時は知るよしもなかった。

 

 

片言の英会話、とびきりの笑顔、簡単なロシア後、日本の有名な物(特に車)、ボディランゲージが彼らとのコミュニケーションツールだ。

 

 

特にトヨタと本田圭祐に対する反応はとてもいい。

 

 

トヨタの車持ってるよ、ホンダケースケに会ったことあるよ(全部嘘)って伝えたらニキータが興奮した眼差しで、目を輝かせていたのを覚えている。

嘘をついて申し訳ないことをしたと思うが、私はただみんなに喜んでもらいたかっただけなのだ。

なんてサービス精神旺盛な男なんだろう私は。

 

 

そんなニキータは食料をほとんど持たない私を気の毒に思ったのか、やたらと食べ物ををおすそ分けしてくれた。

チョコレート、りんご、クッキー、ピロシキetc...

 

聞けば、そのピロシキはニキータのお母さんが作ったものであるらしい。

 

ピロシキ自体の味はいたって普通で、食べると口の中の水分を一切持ってかれるパンと表現するとわかりやすいと思う。

 

正直いってそう何個も食べられるものではない。

 

が、しかし私が調子にのって

"ニキータマムズピロシキナンバーワン!"

と連呼したものだから気を良くしたニキータはもっと食べろもっと食べろと催促する。

 

ごめんなさい、もう食べられないんだ。

とも言えず、10個ぐらい食べたあたりでギブアップ。

 

涙目で嗚咽も止まらなかったが、それを悟られないように必死に我慢して食べた自分に敬意を評したい。

 

口は災いの元。そんな格言が身に染みたシベリア鉄道の夜。

 

このあと一連のやりとりを見ていた屈強なおっさんたちに気に入られ、得体の知れないキノコのマリネやウォッカを頂戴し、ゲロッパするという特異な体験をしたのだが、長くなってきたのでこの辺で終いにしようと思う。

 

なんにせよ無事にモスクワまでたどり着けてなによりである。

 

ちゃお!