JUN KOBAYASHI

気の向くままに赴くままに地球をふらり

小林は旅と英語の関係性について考えた

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初めてひとり旅したのは大学1年生の春休み。大学にもろくに通わずバイトに明け暮れ、旅の資金を稼いでいた。

 

これが大学生の本来あるべき姿だと思っていたし、

(沢木耕太郎の深夜特急かなんか読んで深く感銘受けてしまったんだねきっと。それ自体は悪いことではないんだけど、やっぱりあの頃の自分は視野が狭かったなと思う。恥ずかしいなあ)

 

真面目に大学に通う人を見ては「何が楽しくて学校通ってんだろう」とか「昼休みに罪刑法定主義にについて語り合うなんてどうかしてるぜ」なんて思っていたりした。

 

そう、小林はなんとなくで法学部に入ってしまった為、勉強する楽しみをそこで見出せなかったのだ。

 

今となっては勉強を疎かにしていたことをものすごい後悔しているし、もしやり直せるなら大学一年生に戻って、教科はなんであれちゃんと勉強してみたい。勉強するってことはかっこいいことなんだよね。

 

(これは人生をやり直したいなんてほとんど考えない小林が唯一やり直したいと考えること)

 

初海外ひとり旅の行き先はオーストラリアにした。

 

なんでオーストラリアに行きたかったんだろう。

正直な話あんまり覚えていないんだけど、テレビで見たエアーズロックの姿があまりに美し過ぎたからだったと思う。旅のきっかけなんて案外そんなもの。

コアラも抱っこしてみたかったしね。

 

(旅の途中コアラは臭いって聞いて抱っこするのは諦めたぐらいだから、コアラに対する思い入れはそんな強くなかったんだと思う)

 

あとはやっぱり英語が通じる国が良かったってのもある。

大学受験もある程度頑張ったから、英語力に関しては割と自信があったし、英会話?余裕余裕って勝手に思ってた。

 

(まぁそんな幻想は後々粉々に砕かれることになるんだけども)

 

旅のルートは、ケアンズ→エアーズロック→シドニーを2週間で廻るルートを考えていた。

宿もツアーも何も予約せず、とりあえず往復の航空券だけ取って向かうことにした。

 

(人それぞれ旅の仕方があると思うんだけど、当時の小林はそういう無鉄砲な旅のスタイルがかっこいいと思ってたんだね、若いっていいなあ)

 

焼け付くような日差しと南国独特の湿り気。熱風が身体にまとわりつく感覚。

 

ケアンズの空港に到着した時襲ったあの感覚は肌感覚を通して今も鮮明に身体に刻まれている気がする。

 

しかし、小林はここである問題に遭遇する。

 

「英会話ままならない問題である」

 

ホステルの場所を尋ねても聞き取れない。

苦労してようやくたどり着いたホステルでも「今夜泊まりたいんだけど、空いてる?」っていう単調な会話さえままならない。挙句の果てには、同室になったオージーの女の子に「なんでそんな堅苦しい英語話すの?」って笑われてしまう。

 

受験英語が英会話で通用しないと身を以て知った瞬間である。難解な単語も構文も生のコミュニケーションにおいては何ら意味をなさないことをこの時知った。

 

(受験英語の全てが無駄なわけじゃないよ。それのおかげで単語力と基礎文法はしっかりしていたから、留学した時なんかは他の生徒さん達よりは伸びが早かったと思う。まぁそれでも語学の才能ある子には敵わないなぁと思ったりしたもんだけど)

 

留学という選択を強く意識したのはおそらくこの時だと思う。

生の英語に触れてみたい。欧米人と対等にコミュニケーションを取りたい。英語話せるようになってみんなにチヤホヤされたい。そんなことを漠然と考えたんだね。

 

(ある程度英語が話せるようになった今でも人にチヤホヤされることはないよってあの時の自分に教えてあげたい)

 

そんなもんだから、オーストラリアでの初海外ひとり旅は予想以上に苦労した。

 

(先住民にものすっごい高価な水奪われる事件とかクレジットカード止められて飛行機乗れない事件といった数々のトラブルはいずれ機会があれば書いてみたいと思う)

 

でもその苦労は決して捨てたもんじゃなかったと今では思う。

 

というのも、英語がわからないからこそ得られる喜びもあるからだ。

 

それは自分のブサイクな英語が苦労して伝わった時の達成感だったりするわけだけど、その当時の自分は英語がわからないからこそ何もかもに必死だった。

 

宿の交渉一つ、ツアーで出会う人との会話一つ、空港でのチェックイン一つとっても何もかもがチャレンジングだった。でもその分、それを乗り越えた瞬間大きな達成感を味わったのは確かだ。確かにあの喜びは今でも覚えている。

 

でも今となっては、そんなキラキラした喜びを味わうことはなくなってしまった。と留学を経て世界一周に旅立ち、チリのサンティアゴで燻っている小林は思うのである。

 

旅の最中において英語が話せることのアドバンテージは計り知れない。

 

まず余計なトラブルはある程度回避できること。

日本語では得られない有益な情報を入手できること。

他所の国の旅人と対等にコミュニケーションをとれること。

 

ただ個人的に、旅における英語力ってのは諸刃の剣だと勝手に思っていて。

 

というのは英語が話せるが故に、昔小林が体験したような苦労をすることが極端に少なくなるのだ。それ故に達成感を味わうことも少なくなり、旅に対する積極性が乏しくなる。そうして段々と感動が薄れていく。から

 

ドラクエで例えるならこんな感じ。

 

(これを読んでくれる人がどれだけドラクエに造詣が深いか疑問なのだがそこに関しては勘弁願いたい)

 

ある程度の英語力をもってして旅に出るということは、はがねの剣をもってして魔王討伐の冒険に出るのと同じことなのだ。

 

はがねの剣というのは勇者が冒険中盤に買うことが出来る極めてコストパフォーマンスに優れた武器であるのだが、ある程度の英語力をもってして旅に出ることは、冒険の初日、つまり王様から魔王討伐の命令を受けたその日に、宝箱かなんかからはがねの剣を偶然入手して旅を進めることに似ている。

 

(いつも思うけどドラクエ界の王様は相当鬼畜だと思う。魔王討伐を勇者に命令するくせに布の服とひのきの棒と現金200ドルぐらいしかくれないんだから)

 

そしてその事実が意味すること。それはつまりイージーモードで物語が進んで行くということなのだ。

 

考えてみてほしい、ひのきの棒から銅の剣、銅の剣から石の斧、石の斧から刃のブーメランというふうに徐々にいい武器を集めていく勇者が序盤からはがねの剣を入手できることの意味を。

 

冒険イージーモード。スライムなんてくそみたいなもんである。

 

ただしかし小林は問いたい。そんなイージーモードなゲームをプレイしていて楽しいかと。

 

楽しいわけなんてない。

 

それと同じことが世界一周にも起こりうるのである。

 

ある程度の英語力があるがために旅はイージーモードになりさがるのである。

 

旅に関してだけ言えばイージーモードなのが悪いわけではない。むしろ英語力があったほうがいいと思う。でもそれと引き換えに新鮮な感動を失ってしまう瞬間が多々あるのだろうなとこの旅で感じたことも確か。

 

(世界一周一カ国目の中国ではことごとく英語が通じず、Facebook、Instagram、LINEも使えなかったのでなかなかハードな日々が続いた。事前の下調べなしに乗り込んでいった自分を褒めたい。これに続くモンゴル、ロシアも英語が通じないからこその楽しみがたくさんあった。ドラクエで例えるならば中国、モンゴル、ロシアは、はぐれメタルと高確率でエンカウントする国。それ故に旅人しての経験値はごっそり稼げる。と思っている)

 

時々人様の旅ブログなんかを読んでいると(基本的に人様のブログは滅多に読まないんだけど)「この人全然英語話せないのにどうやって旅しているんだろう」と思うことがある。でもそんな人たちは彼らのブログ上においてとっても楽しそうなのだ。イキイキしていて無鉄砲で羨ましいなぁと心底思う。

 

そして自分はどうしてこんなに冷めた目で旅を続けているんだろうと思って急に悲しくなるのだ。

 

英語もある程度話せた。そして旅を続けていく内に自分を守る方法も学んだ。

 

(それはドラクエで言うと防御力の高い防具を買い足していくのと似ている。ドラクエの例えはもうやめにしよっか)

 

そんなふうにして旅を続けていくと、昔は非日常であった旅が日常化していく感覚を覚えた。

 

それは感動もワクワクもない生活。

腹が減ったから飢えを満たして排泄するだけの猿となり、考えることをやめそうになったこともあった。

 

危ない。考えることをやめたら本当に取り返しのつかないことになっていた。いくら考えても考えてもわけわからんこと、答えがないことを考え続けることに意味ががあるように思うようになった。そしてまたこの時代人間として産まれたことの意味を考えるようになった

 

少し話が逸れてしまった、申し訳ない。

とにかく言いたかったこと、それは「英語話せなくても話せないなりにいいことあるよ」ってこと。

 

(本当はそんなこと言いたくてこの文章を書いているのかもわからないんだけどまぁいいや、取り急ぎそういうことにしておこう。お、危ない、また考えることを放棄しようとしている)

 

前述の通り今小林はチリのサンティアゴにいます。南米にやってきて1ヶ月経過しました。

 

待っていたのは予想通り英語が通じない生活。

 

またしても遭遇した「英語通じない問題」

でも英語が通じないからこそ、旅における楽しみが増えてきました。

行くたびに水の値段が変わるミニマーケットのおじさんとの交渉も、バスの中で身にしみた理不尽な優しさも、何もかもが新鮮です。

 

ユーラシア大陸で培った経験即も旅のルールも通用しない世界。

 

正直言ってくっそ神経使うし、めんどくさいことが大っ嫌いな小林としては旅を続けること自体がめんどくさくなっている気がします。

 

それでもなほ旅を続けていられるのは、この南米という異世界が理不尽で美しいから。

 

理不尽だからこそ美しく興味深いのかもしれない。

 

まーそうでも言ってないと、すぐ荷物まとめて日本帰りたくなっちゃうってだけなのかもしれないけど。

 

さあ、19歳の小林が必要性に駆られて英語を勉強し始めたのと同じように、今年25歳になる小林は必要性に駆られてスペイン語を勉強し始めるのかどうか、乞うご期待。

 

(でも結局スペイン語に苦労しなくなると、旅に飽きたととか言いだすんだろうなー。我ながらどうしようもない性格をしているなと思う)